深夜に突然蘇ることがある。
悲しさと、悔しさに、苛まれる夜がある。
ここまで生きてきて、沢山の方々に助けられ
こんな半端な自分が生きている。
ずっと避けていた生まれた街。
そこには間違いなく、生き生きと夢を見た自分がいた。
そして、それ以上にこの街で生きたくない想いがある。
今からもう12年。
自分の全てを注ぎ情熱のままに生きていた。
しかし自分の力不足のために、この地を離れざる得なくなった。
この街で生きていくことも選択肢にはあった。
しかし、自分の気持ちをリセットするためには離れなきゃと思った。
そして飛び出した。
このブログの書き始めの2005年。
当時お付き合いしていた彼女。
苦労ばかり掛けた中で、遠距離恋愛になることを納得し、
彼女は彼女の全てで俺を支えて立ち上がる力をくれた。
なんとか彼女を幸せにしたい!
そんな想いは、俺にとってはとても大きな力をくれた。
その後、2年の遠距離の時間の中で、いつも彼女がかけてくれた言葉。
「大丈夫だよ!私が好きになった貴方は必ずまた立ち上がれる!」
そんな彼女に励まされ、苦しい中で、他の方々にも迷惑をかけながらも
それまでのアウトサイダーな生き方から組織の中で生きることに努力した。
2年経った日に些細な言い争いから、
お互いがプラスになるために別れることを二人で選んだ。
その後も3か月に1度くらいのペースで、
良き友人、そして俺にとって最高の恩人として、
電話で話し、近況報告を話し合っていた。
結婚しないのか? そんな俺の問いに返ってくる答えは、
もういいかなぁ~、3匹の猫がいることが幸せだよ。
そんな会話を繰り返していた。
そして2011.3.11未曽有の大震災がこの地を襲う。
その日、その前年から仙台へ転勤で戻っていた俺は、
本当は仕事でこの地へ来ているはずだった。
なんの偶然か、午前の会議が長引いた事で、
午後になりその日の予定を変え、仙台にて震災を迎えた。
彼女の職場、実家の位置関係から、
彼女は無事でいると思うことに全く疑いはなかった。
そんな中で音信不通なこの地の友人たちと連絡が取れ、
彼女が旅立ったのを聞いたのは2011年3月16日のことだった。
全ては結果論でしかないけど、
あの日予定通りにこの地へ来ていれば助ける事が出来たんじゃないか?
そんな想いがずっとずっと頭の中から離れずに心が壊れた。
その後、何度かの恋愛をしたが、自分の中でなにか壊れていることを感じながらの日々。
そして今年、この地へどうしても帰らざる得ない理由のために戻った。
彼女が旅立った、その昔一緒に暮らした家は今は取り壊されている。
でも通るたびに、心で冥福を祈るだけの自分が嫌になる。
そして今年のこと、
恋愛なんかでは無いけど、とある女性と話すことが日常になった時期がある。
その彼女は素晴らしくエネルギーを持ち、
バイタリティに溢れて仕事も頑張っている女性。
直接会ったことはないが、何度もメールでやりとりをしていた。
3年位前に何かの病になったことは知っていた。
そんな中でも彼女は必ず復活を信じて、決して弱音を吐かずに頑張っていた。
その彼女が初めて弱音を吐いたとき、
彼女の余命が今年いっぱいと言われていることを知った。
生きることを諦めてほしくなく、
身勝手ながらも、初めて頑張れ!生きてほしい!!
そんなメールを彼女へ送った。
そこから電話で話すことになり、
何故か毎夜毎夜、明け方まで彼女の話を聞くようになった。
やつれていく彼女がくれる電話
俺は何もする事が出来ずにただ、ただ聞く事をしていた。
そんな彼女から連絡が途絶えた時に、
俺ができる事は何もなく、病気退散、無病息災を日々祈り、
時間を見ては参拝へ行くことをしている。
今週、深夜に突然の彼女からの電話。
寝ぼけながらも彼女の声を聞けた瞬間に涙が溢れた。
彼女は苦しい治療の中で闘っていた。
そして俺はと言えば、彼女が必ず復活することを
今この瞬間も疑うこともなく信じて祈り、願っている。
次はいつ声が聞けるのかはわからない。
好き、嫌い、恋愛、そんなのじゃないけど、また別な愛情で彼女が大切だから。
そして自分が大切に想う人が旅立つことが無いように。
運命は過酷な道を彼女に試練として与えている。
心の底か代われるれるなら、代わってあげたい
今日が、明日へ、明日が明後日へ、
彼女の命が少しでも長くなることを祈る。
もう大切だと思う人を先に見送ることは嫌だから。
何度でも、何度でも、彼女の復活を祈っていく。
頑張れ!!負けるな!!
そんな彼女との約束は、電話を切るときは必ず言う魔法の言葉。
またね!せーので、エイエイオー!!
深夜に眠れない日、こんな想いに夜が更けていく・・・
https://www.youtube.com/watch?v=rgHT9kc_uO0